東京高等裁判所 平成10年(行ケ)47号 判決 1999年6月15日
大韓民国
仁川廣域市西區元堂洞531番地
原告
株式会社新亜スポーツ
代表者
呉鐵石
訴訟代理人弁理士
伊藤捷雄
東京都東久留米市前沢3丁目14番16号
被告
ダイワ精工株式会社
代表者代表取締役
松井義侑
訴訟代理人弁護士
勝田裕子
同弁理士
鈴江武彦
中村誠
蔵田昌俊
水野浩司
布施田勝正
主文
特許庁が平成9年審判第2456号事件について平成9年9月30日にした審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1 原告の求めた裁判
主文第1項同旨の判決。
第2 事案の概要
1 特許庁における手続の経緯
被告は、名称を「魚釣用リール」とする特許第2500815号発明(昭和61年1月24日に出願した特願昭61-13209号(原出願)の一部を平成3年3月22日に特願平3-58718号として新たに特許出願したもの。平成8年3月13日設定登録。本件発明)の特許権者である。
原告は、平成9年2月14日、本件発明につき無効審判を請求し、平成9年審判第2456号事件として審理されたが、平成9年9月30日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決があり、その謄本は同年10月22日原告に送達された。
2 本件発明の要旨
フレーム本体に回転可能に取り付けたスプールの前方の案内筒上を、ハンドルの回転に連動してスプールの幅方向にトラバース運動する釣糸案内部材を備えた魚釣用リールに於て、手の親指が載置可能な親指載置部を設けたサムレストで、上記フレーム本体の前部上面及び前面部を一体的に覆うと共に釣糸案内部材に対向する当該サムレストの前面部に釣糸の繰り出し窓孔を設け、前記サムレストが起立した開放時に釣糸案内部材及び案内筒の上部が露出するように、サムレストを釣糸案内部材の釣糸挿通穴より下方位置のフレーム本体に前方へ向けて回転可能に枢支しサムレストの前部上面をフレーム本体より前方の離間した位置に起立させると共に、サムレストを閉じた時にフレーム本体に係止保持する係止部を当該サムレストに設けたことを特徴とする魚釣用リール。
3 審決の理由の要点
(1) 原告(請求人)の当事者適格について
本件審判請求については、原告(請求人)と被告(被請求人)との間で当事者適格が争われている。
すなわち、被告は、本件審判請求に関し原告が日本国外の法人であり、日本国外において製造した魚釣用リールを日本に輸出しているにすぎないから、日本国内において法律上の利害関係を有さないので、請求人不適格として本件審判請求は却下されるべきであると答弁書で主張している。
そこで、この点について検討する。
審判請求書の6.請求の理由(1)事件の概要中の記載、原告が提出した審判甲第1号証の1及び2の記載によれば、原告は大韓民国内において本件発明の魚釣用リールのようなベイトキャストリールの製造を行う法人であると認められ、日本国内の株式会社タカミヤの委託によりベイトキャストリールを製造し、株式会社タカミヤはこれを日本に輸入、販売しているところ、被告から株式会社タカミヤに対し、上記の輸入、販売は本件特許権を侵害する旨の警告がなされ、原告は株式会社タカミヤから取引の停止を求められているものと認められる。
上記の事実によれば、原告は、大韓民国において本件発明の魚釣用リールと同種のリールを製造し、日本国に輸出しているのであるから、将来、日本国において輸入、販売又は製造する可能性があることは否定できず、この点からすると、原告は、本件発明の実施につき特許権者と法的紛争が生ずるおそれがある者と認められ、本件発明の特許の存否に利害関係を有しているといえる。
したがって、原告は、本件無効審判を請求することにつき利害関係が存在せず原告適格を欠くものであるから、却下されるべきであるとの被告の主張は採用することができない。
(2) 審判における原告の主張
(a) 本件発明は、その出願日前の公知技術である審判甲第2~第4号証(本訴甲第3~第5号証)に記載された発明と同一であるか、あるいはこれらの発明に基づいて当業者が容易に創作することができたものであるので、特許法29条1項あるいは2項の規定に該当し、同法123条の規定により無効とさるべきものである。
(b) 本件発明は、原出願より出願分割されたものであるが、出願分割の要件を欠いていることから出願日の遡及が認められないので、原出願の発明と同一であって、特許法39条1項の規定に違反することになり、同法123条の規定により無効とさるべきものである。
(c) 本件発明は、出願日の遡及が認められないとすると、その出願日前の公知技術である審判甲第7、第8号証(本訴甲第8、第9号証)に記載された発明と同一であるか、あるいはこれらの発明に基づいて当業者が容易に創作することができたものであるので、特許法29条1項あるいは2項の規定に該当し、同法123条の規定により無効とさるべきものである。
(3) 審判における証拠方法
原告は、証拠方法として、
審判甲第1号証1、2(株式会社タカミヤあてのダイワ精工株式会社の文書の写し)、
審判甲第2号証(実願昭58-114572号(実開昭60-22178号)のマイクロフィルム。本訴甲第3号証)、
審判甲第3号証(実願昭54-106202号(実開昭56-24880号)のマイクロフィルム。本訴甲第4号証)、
審判甲第4号証(実願昭58-147184号(実開昭60-55369号)のマイクロフィルム。本訴甲第5号証)、
審判甲第5号証(原出願の明細書、図面の写し。本訴甲第6号証)、
審判甲第6号証(本件発明の出願時の明細書、図面の写し。本訴甲第7号証)、
審判甲第7号証(特開昭62-171633号公報。本訴甲第8号証)、
審判甲第8号証(実願昭61-127476号(実開昭63-33780号)のマイクロフィルム。本訴甲第9号証)、
審判甲第9号証(特公平6-16664号公報。本訴甲第10号証)
を提出している。
(4) 審決の判断
(a) 審判における原告の主張(a)について
審判甲第2号証(本訴甲第3号証)には、「1対のサイドフレームをもったリールボディのサイドフレーム間にサムレストを架設した両軸受リールであって、前記サムレストを広幅状として該サムレストを前記サイドフレーム間に、サイドフレームの外周面に沿う第1位置と、サイドフレームの半径方向外方に起立する第2位置とに亘って回動自在に枢支すると共に、前記サムレストを、前記第1位置で保持する保持手段を設けたことを特徴とする両軸受リール」(実用新案登録請求の範囲)に係る発明が図面と共に記載されており、「本考案の目的は、サムレストを広幅状とし、かつ起立可能として、何人でも親指を載せてリールを確実にホールドできるばかりでなく、釣糸のバックラッシュ時に、サムレストを起立させて釣糸をほぐす作業を容易に行なえる両軸受リールを提供する点にある」(明細書2頁17行~3頁2行)、「第6図のごとくサムレスト(6)の先端部を前記レベルワインド(4)の前側上部迄折曲げるごとく形成して、リールボディ(1)をホールドすべくサムレスト(6)を親指で押えるとき、この親指がレベルワインド(4)に当たらないようにでき、安全性を向上できると共に、前記サムレスト(6)により、レベルワインド(4)と、該レベルワインド(4)の往復動の案内をするトラバース溝(図示せず)とを、前方から飛来する異物に対し保護でき、レベルワインド(4)が破壊されたり、トラバース溝中に異物が入り込んでレベルワインド(4)を往復動させられなくなる事故が生ずるのを防止できう」(明細書9頁12~10頁4行)、「以上の説明では、前記サムレスト(6)は、サイドフレーム(11)、(12)間において長さ方向の後側を枢支して、前側を開閉すべくしたが、逆に長さ方向の前側を枢支して後側を開閉すべくしてもよい」(明細書10頁5~9行)、「本考案は、サムレストを広幅状として、サイドフレーム間に該サイドフレームの外周面に沿う第1位置と、サイドフレームの半径方向外方に起立する第2位置とに亘って回動自在に枢支すると共に、前記サムレストを、前記第1位置で保持する保持手段を設けたのであるから、何人でも第1位置に保持したサムレストに親指を載せてリールボディを確実にホールドできると共に釣糸のバックラッシュ時に、サムレストを第2位置に起立させて、釣糸をほぐす作業を容易に行なえるのである」(明細書10頁10~20行)との記載がなされている。
審判甲第3号証(本訴甲第4号証)には、「釣糸の平行巻案内部の前方に位置し、平行巻案内環を通る釣糸の平行移動を妨げないように糸道を設けた板状安全カバーを左右側板間に架設したことを特徴とする魚釣用リール」(実用新案登録請求の範囲)に係る発明が図面と共に記載されており、「本考案は、……その目的は平行巻案内部の前方部に位置し、左右側板間に板状安全カバーを架設することによって手指を挟み、負傷する恐れをなくすと共に、平行巻案内部自体をも保護することのできる魚釣用リールを簡単廉価に提供することにある」(明細書2頁13~19行)、「板状安全カバー(1)は釣糸(2)が釣糸平行巻案内環(3)を通って左右移動するところの糸道より下方にあって釣糸平行巻案内部(3)のほとんどをカバーするように構成した形状である。また左右の側板(4)(4)それぞれの内側面(4')(4')には円孔(5)(5)を穿設し、板状安全カバー(1)上部の左右の突起(6)(6)を該円孔(5)(5)に軸着し、板状安全カバー(1)下部の左右の孔(7)(7)に連結杵を挿通し、側板(4)(4)間に螺子止めすることによって、該板状安全カバー(1)を側板間に架設する。また、該板状安全カバーは第3図の如く、糸道となる部分に長窓(8)を設け、釣糸(2)を通すようにしてもよい」(明細書3頁1~13行)、「本考案によれば、手指を釣糸平行巻案内機構内に誤って手指を差し込み、側板と平行巻案内部の間に挟まれ負傷する恐れが全くなくなると共に、リールを岩やコンクリートなどに誤って落としたり、ぶつけたりしても釣糸平行巻案内機構を保護しつつ損傷する恐れがない等、従来の魚釣用リールに見られない優れた特徴と実用性を有するものである」(明細書3頁17行~4頁5行)との記載がなされている。
審判甲第4号証(本訴甲第5号証)には、「リールの両側板の前側外縁間を釣糸貫通窓孔と指当て部と湾曲部を一体に形成した保護カバーで覆ったことを特徴とする魚釣用両軸受型リール」(実用新案登録請求の範囲)に係る発明が図面と共に記載されており、「本考案の目的は……支柱とレベルワインダーを保護カバーで覆うように釣糸貫通窓孔と指当て部を一体に形成した保護カバーをリールの両側板の前側外縁間に取り付けて親指の痛みを防止すると共に防砂と防塵を行った魚釣用両軸受型リールを提案することにある」(明細書1頁最下行~2頁5行)、「上記保護カバー8は第1図から第4図のように金属材又は合成樹脂材で釣糸貫通窓孔8aと指当て部8bと湾曲部8cと上側端部の屈曲部8dと下側端部の二股屈曲部8eが一体に形成されている。上記保護カバー8がリールの両内側板1、2の前側外縁間に取り付けられるときは、材料の弾性を利用して屈曲部8dが上側の支柱3に掛け止めされ、次に二股屈曲部8eが下側の支柱10に掛け止めされて釣糸貫通窓孔8aから釣糸が引き出される。上記のように保護カバー8がリールの両内側板1、2の前側外縁間に取り付けられると、リールを握った手の親指が指当て部8bに掛けられてリールが保持されて長時間指当て部8bに親指を乗せても平面で形成されているので疲れず、痛むことがない。更に、レベルワインダーの外側は湾曲部8cで覆われているので案内筒6の下側の長孔6aから砂や塵埃が案内筒内に侵入することが少なくなり、糸案内本体9の摺動に支障を来たすことが防止される」(明細書3頁9行~4頁8行)、「第8図は第4実施例で保護カバー8の内側両側に複数の舌片8f~8kが形成されて各舌片の外側に球面突出部8m~8pが形成され、内側板1、2の内側に図示しない凹部が形成されて球面突出部が嵌合されることで保護カバー8がリールに取り付けられる」(明細書5頁12~17行)との記載がなされている。
本件発明と審判甲第2~第4号証(本訴甲第3~第5号証)に記載された発明とを対比すると、本件発明は、サムレストを利用してレベルワインド機構の保護及び当該レベルワインド機構からの手の保護を図ると共に、リール本体のメンテナンスの向上を図ることを目的として、「サムレストを釣糸案内部材の釣糸挿通穴より下方位置のフレーム本体に前方へ向けて回転可能に枢支しサムレストの前部上面をフレーム本体より前方の離間した位置に起立させる」ことをその構成に欠くことのできない事項としているところ、審判甲第2~第4号証(本訴甲第3~第5号証)のいずれにも上記事項については記載されておらず、示唆する記載もない。
すなわち、審判甲第2号証(本訴甲第3号証)には、サムレストが起立した開放時に釣糸案内部材及び案内筒の上部が露出するように、サムレストをフレーム本体に前方へ向けて回転可能に枢支することは記載されているものの、該サムレストは釣糸案内部材の釣糸挿通穴より上方位置のフレーム本体に枢支されていて、前部上面がフレーム本体より前方の離間した位置に起立するものではない。
また、審判甲第3号証(本訴甲第4号証)には、魚釣用リールに、その平行巻案内部の前方に位置し、左右側板間に板状安全カバーを設けることが記載されているが、この板状安全カバーはサムレストとはその役目を異にするものであり、この板状安全カバーにサムレストを付加することについては、それを示唆する記載もない。
さらに、審判甲第4号証(本訴甲第5号証)には、スプールの幅方向にトラバース運動する釣糸案内部材を備えた魚釣用リールにおいて、親指載置部を設けたサムレストでフレーム本体の前部上面及び前面部を一体的に覆うこと、及び、該サムレストの前面部に釣糸の繰り出し窓孔を設けることは記載されているが、該サムレストはフレーム本体の支柱に掛け止められるものであって、サムレストをフレーム本体に回転可能に枢支することについては何ら記載されていない。
そして、本件発明は、上記事項を具備することにより明細書に記載の作用効果を奏するものと認められる。
したがって、本件発明は、審判甲第2~第4号証(本訴甲第3~第5号証)に記載された発明のいずれかの発明であるとも、また、審判甲第2~第4号証(本訴甲第3~第5号証)に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものとも認められない。
(b) 審判における原告の主張(b)について
原告は、本件特許明細書の段落【0023】中の「従って、図8の如くプッシュロッド33を矢印D方向に押して係止部35と係合部37との係合を解除すれば、釣糸案内部材18を含めたサムレスト23が、引張ばね31によって二点鎖線で示すように自動的に開放されることとなる。而して、本実施例によっても、上記実施例と同様、所期の目的を達成することができることは勿論、サムレスト23の開放が容易となる利点を有する。尚、上記各実施例では、釣糸案内部材18をサムレスト23と一体に回転可能な構造としたが、図6の破線で示すように釣糸案内部材18を、従来と同様、回転しない構造として、サムレスト23のみが開放回転できるようにしてもよい」という記載及び図6(本判決別紙本件発明図面参照)は、原出願の願書に最初に添付した明細書及び図面(以下「原明細書及び図面」という。図面は、本判決別紙本件発明原図面参照)には記載されておらず、本件発明は、分割出願としての出願時に上記記載を明細書及び図面に加えることにより、サムレストの枢支構造として、サムレストのみが単独で回転するものを新たに包含させたものであるから、出願分割の要件を欠くものであって、本件発明は出願日の遡及が認められない出願となるので、原出願の発明(審判甲第9号証(本訴甲第10号証)の特公平6-16664号公報)と実質的に同一発明となり、特許法39条1項の規定に違反する出願であることを主張している。
原明細書及び図面には下記の記載がされていると認められる。
「一方、釣糸案内部材18の揺動端部側には、スプール3に向けて開口する釣糸挿通孔21が形成されており、そして鈎状に形成された先端部18bは、トラバースカム軸14と並行に配置したガイドロッド22にスライド可能に嵌合され、ガイドロッド22の両端は、サムレスト23の両支持部24a、24b間に固着されている。上記サムレスト23はリール本体の把持性及びレベルワインド部への安全性を確保するもので、フレーム本体1の前面上部及び前面部を覆う形状をなしていると共に、フレーム本体1の側板1a、1b間の間隔に相当する幅を有し、さらに釣糸案内部材18が対向する前面部分23aには、釣糸案内部材18のトラバース運転及び釣糸挿通孔21からの釣糸5の引出しが阻害されないようにする窓穴25が形成されている。また、サムレスト23の親指載置部分23bの両側面から側板1a、1bの内側に沿って延設した支持部24a、24bの端部は上記案内筒17の外周に回転可能に枢支され、そして親指載置部分23bの内側には、釣糸案内部材18を正常姿勢(第2図の実線に示す状態)にセット保持する係止爪26が突設され、この係止爪26はフレーム本体1の支柱1cに係脱されるものである」(原明細書7頁7行~8頁10行)、
「魚釣時等に繰り出された釣糸5をスプール3に巻き取る場合は、ハンドル13を第1図において矢印A方向に回転操作する。この時、釣糸案内部材18及びサムレスト23は第1図及び第2図に示す状態にセットされ、そして釣糸5は釣糸挿通孔21を通じて外方へ引き出されていると共に、リール本体を把持した一方の手(左手)の親指はサムレスト23の上面部分23b上に載せられている」(原明細書8頁13行~9頁1行)、
「さらにまた、キャスティング時にバックラッシュ現象が生じて釣糸が絡んでも、サムレスト23を矢印B方向へ回動してリール上部を開放することにより、釣糸のほぐし作業を容易になし得る」(原明細書10頁15~18行)、
「また、サムレスト23はレベルワインド機構の上面及び前面部を覆うため、安全性が向上する」(原明細書11頁3~4行)、「なお、本発明においては、レベルワインド用の釣糸案内部材18をサムレスト23と一体にして開放回動できる方式について述べたが、サムレスト23を従来と同様な方式とし、釣糸案内部材18のみを開放回動できる方式としてもよい」(原明細書13頁1~5行)。
上記の記載によれば、サムレスト23は、フレーム本体1の前面上部及び前面部を覆う形状をなしていると共に、親指載置部分23bの両側面から側板1a、1bの内部に沿って延設した支持部24a、24bの端部は上記案内筒17の外周に回転可能に枢支されるという構造を有し、これによりリール本体の把持に加えて安全性や釣糸のほぐし作業性等を向上させるという効果を奏するものと認められる。そして、これらの効果はサムレストと釣糸案内部材とが共に回転するように構成されていることによって生ずるものではなく、上記のサムレスト独自の構造に基づいて生ずることが明らかであり、また、釣糸案内部材をサムレストと一体に開放回動しない構造とすることも記載されていると認められるから(原明細書13頁1~5行)、当業者が上記の各記載をみてサムレストに着目すれば、サムレストが釣糸案内部材と共に回転する構成のみならず、サムレストのみが単独で回転する構成も存在することが自明なものとして認識できると認められる。また、図6はこの構成を単に図面として表記したものと認められる。
よって、本件特許明細書の段落【0023】中の前記記載及び図6の記載は原明細書及び図面に記載された範囲のものと認められる。
したがって、本件発明は、原明細書及び図面に記載された発明を新たな特許出願として出願されたものであり、その出願は原出願の出願の時にしたものとみなされる。
以上のとおりであるから、本件発明の出願の時が繰り下がることを前提にして、本件発明が特許法39条1項に違反しているという原告の主張は採用することができない。
(c) 審判における原告の主張(c)について
原告は、本件発明は、出願分割の要件を欠いたものであるからその出願日が平成3年3月22日となるので、特開昭62-171633号公報(審判甲第7号証(本訴甲第8号証))又は実願昭61-127476号(実開昭63-33780号)のマイクロフィルム(審判甲第8号証(本訴甲第9号証))に記載された発明と同一であるか、これらの発明に基づいて当業者が極めて容易に創作することのできた発明であるから、特許法29条1項又は2項の規定に該当し、同法123条の規定により無効とされるべきであることを主張している。しかし、上記(b)で述べたように本件発明は原出願の出願の時である昭和61年1月24日に出願されたものとみなされるので、原告の主張は採用することができない。
(5) 審決のむすび
以上のとおりであるから、原告の主張する理由及び提出した証拠方法によっては、本件特許を無効にすることはできない。
第3 原告主張の審決取消事由の要点
審決は、本件発明の容易推考性についての判断を誤り(取消事由1)、また、本件発明の分割出願の要件についての判断を誤った(取消事由2)ものであるから、取り消されるべきである。
1 取消事由1(容易推考性の判断の誤り)
審決は、「『サムレストを釣糸案内部材の釣糸挿通穴より下方位置のフレーム本体に前方へ向けて回転可能に枢支しサムレストの前部上面をフレーム本体より前方の離間した位置に起立させる』ことをその(本件発明の)構成に欠くことのできない事項としているところ、審判甲第2~第4号証(本訴甲第3~第5号証)のいずれにも上記事項については記載されておらず、示唆する記載もない。」と判断しているが、以下に主張するとおり、誤りである。
(1) 甲第3号証(審判甲第2号証)には、サムレストを前方向へ開くべくその一端をフレーム本体に回転可能に枢支させた技術が示されている。
(2) 甲第4号証(審判甲第3号証)には、その第3図に前面部に釣糸の繰り出し突孔を設けた板状安全カバーが図示され、このカバーはフレーム本体の上部を覆う取付状態になり、必然的に親指を載せるサムレストとなるから、釣糸案内部材の釣糸挿通穴より下方位置のフレーム本体にその下端部を軸着させたサムレストが示されているといえる。
その点、審決が「審判甲第3号証(本訴甲第4号証)には、魚釣用リールに、その平行巻案内部の前方に位置し、左右側板間に板状安全カバーを設けることが記載されているが、この板状安全カバーはサムレストとはその役目を異にするものであり、この板状安全カバーにサムレストを付加することについては、それを示唆する記載もない。」としたのは、甲第4号証に記載されているサムレストの認定判断を誤ったものである。
(3) 甲第5号証(審判甲第4号証)には、フレーム本体の前部上面及び前面部を一体的に覆ったサムレスト(保護カバー8)が示され、このようなサムレスト(保護カバー8)の場合には、甲第3号証から明らかなように、バックラッシュが生じた場合、あるいはレベルワインド機構にゴミが附着した場合、釣糸案内部材へ釣糸を通す場合等において、サムレストをフレーム本体に対して開閉したり、取り外したりする必要性が当然に生じるため、開閉可能あるいは着脱容易となっているものであって、これは当業者にとって常識である。具体的に述べれば、以下のとおりである。
(a) 第1実施例は、合成樹脂製のサムレスト(保護カバー8)は、弾性を利用してその屈曲部8dと二股屈曲部8eを支柱に掛け止めしており、支柱3に対して屈曲部8dを着脱して、支柱10を支点に回動開放できるものである。
(b) 第2実施例は、サムレスト(保護カバー8)の舌片8f、8gからビス12を取り外すことにより、二股屈曲部8eを掛け止めした支柱10を支点に回動開放できるものである。
(c) 第3実施例は、ビス12を取り外すことによってフレーム本体からサムレスト(保護カバー8)を着脱でき、第4実施例も、サムレストの両側部の球面突出部8m~8pによるフレーム本体との間の凹凸嵌合に対して、該サムレストの弾性を利用して容易に着脱できるものである。
(d) 以上のことから、少なくとも、甲第5号証の第1実施例と第2実施例のものには、サムレストが単独で釣糸案内部材の釣糸挿通穴より下方位置のフレーム本体に前方へ向けて回転可能に枢支される構成が、開示あるいは示唆され、サムレストは当然にその前部上面をフレーム本体より前方の離間した位置に起立することになる。
(4) そうすると、甲第3号証のサムレストを前方向へ開くべくその一端をフレーム本体に回転可能に枢支させた技術と、甲第4号証と甲第5号証のサムレストを釣糸案内部材の釣糸挿通穴より下方位置のフレーム本体へ該サムレストの下端部を軸着させた技術とを組み合わせれば、本件発明の「サムレストのみを釣糸案内部材の釣糸挿通穴より下方位置のフレーム本体に前方へ向けて回転可能に枢支しサムレストの前部上面をフレーム本体より前方の離間した位置に起立させる」という構成は、当業者でなくても、だれもが自然に考え付くものである。
2 取消事由2(分割出願の適否の誤認)
審決は、本件発明のサムレストについて、「リール本体の把持に加えて安全性や釣糸のほぐし作業性等を向上させるという効果……はサムレストと釣糸案内部材とが共に回転するように構成されていることによって生ずるものではなく、上記のサムレスト独自の構造に基づいて生ずることが明らかであり、また、釣糸案内部材をサムレストと一体に開放回動しない構造とすることも記載されている」との認定を前提に、「当業者(は)……サムレストが釣糸案内部材と共に回転する構成のみならず、サムレストのみが単独で回転する構成も存在することが自明なものとして認識できると認められる」と判断しているが、誤りである。
(1) 本件発明における「サムレストを釣糸案内部材の釣糸挿通穴より下方位置のフレーム本体に前方へ向けて回転可能に枢支し」という構成には、(ⅰ)「サムレストが釣糸案内部材と共に回転する」ような具体例のものと、(ⅱ)「サムレストのみが単独で回転する」ような具体例のものとが含まれる。
そして、上記(ⅱ)のような具体例のものは、分割出願時に本件明細書に「尚、上記各実施例では、釣糸案内部材18をサムレスト23と一体に回転可能な構造としたが、図6の破線で示すように釣糸案内部材18を、従来と同様、回転しない構造として、サムレスト23のみが開放回転できるようにしてもよい。」(甲第2号証5欄32~36行)と記載することにより、本件発明に含まれるようになったものである。
(2) しかるに、本件分割出願に係る原出願の明細書及び図面(甲第6号証。原明細書及び図面)には、上記(ⅱ)「サムレストのみが単独で回転する」構成に係り、フレーム本体の上部と前部を覆うサムレストが釣糸挿通孔より下方位置を支点に釣糸案内部材を離れて単独で開放回転される旨の技術の開示は一切ないし、これを示唆するところもない。
すなわち、原明細書及び図面には、サムレスト23より延設させた支持部24a、24bの端部が案内筒17の外周に回転可能に枢支される、という記載があったとしても、その前後にある記載からして、該案内筒17と共に回転可能に取り付けられた釣糸案内部材18を支持するガイドロッドがサムレスト23の支持部24a、24b間に固着され、サムレスト23は必ず釣糸案内部材18及び案内筒17と共に開放回転して釣糸挿通孔やトラバースカム軸14のカム溝14aが上側を向くことが必須の要件となっている。
(3) そして、サムレストのみが開放回転するものと、釣糸案内部材及び案内筒が共に開放回転するものとでは、原明細書及び図面に両部材が共に開放回転するもののみが記載されているように、サムレストの開放回転時に釣糸挿通穴が上を向くか、向かないか、及び回転筒17の長穴を介しカム溝を上から見ることができるか、できないか、などの作用効果上の違いがあり、糸通し作業や掃除をする際に大きな違いが出てくるから、サムレストのみ回転するものは、当業者が原明細書及び図面から一義的に引き出せるものでもないし、当業者にとって自明な事項でもない。
したがって、審決が「これらの効果はサムレストと釣糸案内部材とが共に回転するように構成されていることによって生ずるものではなく、上記のサムレスト独自の構造に基づいて生ずることが明らかであり」との判断をしたのは、誤りである。
(4) よって、分割出願時において、本件発明に(ⅱ)の「サムレストのみが単独で回動する」との具体例のものを新たに加えたことは、出願内容の同一性を欠くものであって、出願日の遡及は認められないから、本件発明は、出願分割の要件を欠いていることから出願日の遡及が認められず、かつ、(ⅰ)の具体例のものが原明細書に記載され公知となった発明(甲第8号証)と同一ということになり、本件発明は特許法29条1項に違反し、その特許は、同法123条により無効とさるべきである。
第4 取消事由に対する被告の反論
1 取消事由1について
(1) 甲第3号証及び甲第4号証には、フレーム本体の前部上面及び前面部を一体的に覆うようなサムレストが構成されていない。
すなわち、甲第3号証に開示されているサムレスト6は、フレーム本体の上面部分のみを覆うのみであり、甲第4号証に開示されている板状安全カバー1はサムレストではなく、釣糸案内部材の前面部を覆うのみであり、いずれも本件発明のようにフレーム本体の前部上面及び前面部を一体的に覆うような構成ではない。
(2) 甲第3号証のサムレストは、バックラッシュの問題及びレベルワインドへの糸通しの問題を解決するためにフレーム本体の上面において開閉されることを主題とした技術的思想に基づくものであり、このような技術的思想を、サムレストとしての機能や開閉の機能もなく、単に手の負傷を防止することを目的として釣糸案内部材の前面部のみをカバーで覆うことを主題とした甲第4号証の技術的思想に組み合わせる必然性は全くない。
たとえ、これらのサムレスト及びカバーを組み合わせたとしても、両者を別体としてそれぞれフレームに設けることを着想するにとどまり、本件発明のように、両者を一体化して特定の機能を奏する構成とすることは容易に着想できるものではない。
(3) 甲第5号証の魚釣用リールは、サムレスト(指当て部8bと湾曲部8cとを有する保護カバー8)は、常に定位置に固定されるものであり、本件発明のように、「サムレストを釣糸案内部材の釣糸挿通穴より下方位置のフレーム本体に前方へ向けて回転可能に枢支しサムレストの前部上面をフレーム本体より前方の離間した位置に起立させると共に、サムレストを閉じた時にフレーム本体に係止保持する係止部を当該サムレストに設けたこと」に関する構成について、何ら開示、示唆するものではない。
すなわち、甲第5号証には、その第4図、第6図ないし第8図に示されているように、サムレストの両端部には、屈曲部8d、8eあるいは球面突出部8m~8pあるいはビス12、20~22用の舌片8f~8i等が形成され、これらの手段によって、サムレストはフレームに対して、その両端が常に確実に固定されるように構成されているのであり、サムレストを開閉可能に枢支するという構成はもとより、これを示唆する記載も存在しない。
これは、甲第5号証の第2図に示されているように、リール取付用脚部の上面が保護カバー8の下部面に当接してしまいサムレストがフレーム本体に対して回動不可能となっていることからも明らかであり、また、甲第5号証の目的が、支柱とレベルワインダーを保護することで、親指の痛みを防止するとともに防砂、防塵を行うこと、にあり(甲第5号証1頁9行~2頁5行参照)、この目的からみても、甲第5号証に記載のものに、サムレストを開閉可能に枢支するものとする必然性はない。
2 取消事由2について
(1) 本件発明に、(ⅰ)「サムレストが釣糸案内部材と共に回転する」具体例のものと、(ⅱ)「サムレストのみが単独で回転する」具体例のものが含まれることは認める。
そして、原明細書には、従来では釣糸案内部材の姿勢が固定されているため、釣糸の一端を糸案内孔内に挿通する場合、糸案内孔を覗き込むようにして糸通しを行わなければならないという問題点、並びに、サムレストが設けてある場合は、サムレストが糸通しの邪魔になるという問題点があることの究明に関する記載があり、まず、上記(ⅰ)の「サムレストが釣糸案内部材と共に回転する」具体例のものの記載があるところである。
(2) しかしながら、本件発明の発明者及び出願人は、原出願の願書に最初に添付した図面(本判決別紙本件発明原図面)に示される魚釣用リールには、上記発明(ⅰ)以外にも、その第2図に示されるように、サムレストを、実線のようにフレーム本体の前部上面及び前面部を一体的に覆い、かつ、釣糸案内部材に対向する当該サムレストの前面部に釣糸の繰り出し窓孔を設けた構成とし、これを点線のように、開放時に釣糸案内部材及び案内筒の上部が広く露出するように、フレーム本体より前方の離間した位置に起立可能となるように回転可能に枢支する発明として、(ⅱ)「サムレストのみが単独で回転する」具体例のものを含んでいることに基づき、これらの発明(ⅰ)、(ⅱ)を適切に保護すべく、別途分割出願したものである。
そして、この発明(ⅱ)のサムレストの具体例によれば、レベルワインド装置の保護、及び魚釣用リールの握持・保持性の向上が図れるとともに、レベルワインド機構から手の保護が確実に図れ、バックラッシュが生じたときの処理、メンテナンス等が容易に行えるという作用効果が得られる。
(3) 本件特許出願公告公報(甲第2号証)の段落【0023】の記載(5欄32~36行)は、平成5年改正法前の旧法下での自明な範囲での追加事項にすぎず、またその記載を分かりやすく図6に示したにすぎない。
(4) したがって、分割要件を満たさないとの原告の主張は失当である。
第5 当裁判所の判断
取消事由2(分割出願の適否)について判断する。
1 まず、原明細書の記載を検討する。
(1) 甲第6号証によれば、本件発明の原明細書及び図面には、以下の記載があることが認められる。
「上記のような従来の魚釣用リールのレベルワインド機構では、釣糸案内部材が保持部材によってトラバースカム軸の周りに回転できないよう保持されているため、釣糸案内部材の姿勢を変えることができず、かっその糸案内孔の方向もリール本体の前後方向に固定されてしまう。従って、スプールに巻回した釣糸の一端を糸案内孔内に挿通する場合、糸案内孔を覗き込むようにして糸通しを行なわなければならず、糸通し操作が比較的煩雑になるほか、釣糸が軟らかく湾曲ぐせがついて直線性が得られない場合には、糸通し操作が更に煩雑になる。また、手の親指を載せるサムレストが設けてある場合は、サムレストが糸通しの邪魔になる問題があった。」(3頁4~17行)、
「サムレスト23はリール本体の把持性及びレベルワインド部への安全性を確保するもので、フレーム本体1の前面上部及び前面部を覆う形状をなしていると共に、フレーム本体1の側板1a、1b間の間隔に相当する幅を有し、さらに釣糸案内部材18が対向する前面部分23aには、釣糸案内部材18のトラバース運転及び釣糸挿通孔21からの釣糸5の引出しが阻害されないようにする窓穴25が形成されている。また、サムレスト23の親指載置部分23bの両側面から側板1a、1bの内側に沿って延設した支持部24a、24bの端部は上記案内筒17の外周に回転可能に枢支され、」(7頁14行~8頁6行)、
「また、スプール3に巻回されている釣糸5に仕掛けを接続したりする場合は、第2図の実線に示すサムレスト23を案内筒17を中心にして矢印B方向に回動させ、第2図の2点鎖線に示す状態即ち第3図に示す状態にする。これに伴いガイドロッド22を介して連結された釣糸案内部材18は案内筒17と一体にトラバースカム軸14を中心にして同一方向に回動され、その釣糸挿通孔21は真上から直視できる上下方向を向く姿勢となる。従って、スプール3から引き出された釣糸5の巻き終わり端を釣糸挿通孔21に対し上方から矢印C方向へ差し込むことにより、釣糸挿通孔21への挿通が容易になし得る。
上記のような本実施例にあっては、レベルワインド用の釣糸案内部材18を、その釣糸挿通孔21が上下方向を向く姿勢に転換できるので、釣糸5を釣糸挿通孔21に簡便にかつ迅速に挿通することができる。また、釣糸挿通孔21はリール本体を把持したまま真上から直視でき、かつ自然な体勢で挿通し得るため、釣り人の目又は指が疲れることがない。
さらにまた、キャスティング時にバックラッシュ減少が生じて釣糸が絡んでも、サムレスト23を矢印B方向へ回動してリール上部を開放することにより、釣糸のほぐし作業を容易になし得る。また、釣糸案内部材18を釣糸挿通体勢に回動したとき、袋ナット19及び係合爪20は上方に位置されるようになるため、袋ナット、係合爪20等の組付け、分解作業で簡便になる。
また、サムレスト23はレベルワインド機構の上面及び前面部を覆うため、安全性が向上する。」(9頁14行~11頁4行)、
「なお、本発明においては、レベルワインド用の釣糸案内部材18をサムレスト23と一体にして開放回動できる方式について述べたが、サムレスト23を従来と同様な方式とし、釣糸案内部材18のみを開放回転できる方式としても良い。」(13頁1~5行)。
(2) これらの記載及び図面(本判決別紙本件発明原図面参照)によれば、原明細書に記載のサムレスト23は、フレーム本体1の前面上部及び前面部を覆う形状により、リール本体の把持性及びレベルワインド部に対する手指の安全性を確保することを固有の作用目的としていることが示されているものというべきである。そして、その実施例として、サムレスト23が案内筒17の外周に回転可能に枢支され、このサムレストに連結された釣糸案内部材と一体にフレーム本体前方方向へ開放回動する方式が開示され、これによる作用効果として、釣糸5に仕掛けを接続したりする場合に、サムレスト23と一体に開放回動することに伴い釣糸案内部材18に形成された釣糸挿通孔21が真上から直視できる上下方向を向く姿勢となり、釣糸挿通作業が容易になし得ることや、また、キャスティング時にバックラッシュ減少が生じて釣糸が絡んだ場合等に、サムレスト23を前方方向へ回動してリール上部を開放することにより、釣糸のほぐし作業を容易になし得ること、さらにこのとき、釣糸案内部材18が回動しているから袋ナット19及び係合爪20等の組付け分解作業で簡便になることが開示されているものと認めることができる。
(3) 以上のとおり、原明細書に開示の実施例及び実施例の変形(原明細書13頁1~5行の記載)は、いずれも、原明細書に記載にある「従来の魚釣用リールのレベルワインド機構では、……釣糸案内部材の姿勢を変えることができず、かつその糸案内孔の方向もリール本体の前後方向に固定されてしまう。従って、……糸通し操作が比較的煩雑になるほか……サムレストが糸通しの邪魔になる問題があった。」(3頁4~17行)という技術的課題の下に、これを解決する方式を開示したものであって、これにより、釣糸案内部材18を回転させてそれに形成された釣糸挿通孔21が上下方向を向くようにすることで釣糸挿通作業を容易になし得る作用効果のものが開示され、これに関連するサムレスト23について、原明細書及び図面の開示するところは、フレーム本体1の前面上部及び前面部を覆う形状によりリール本体の把持性及びレベルワインド部に対する手指の安全性を確保するというサムレスト固有の作用効果が奏されることと、サムレストが釣糸案内部材と一体に開放回動する構造を前提に釣糸の挿通作業やほぐし作業及び袋ナット19等の組付け分解作業を容易になし得る作用効果が奏されることにあるものと認められる。
(4) 他方、原明細書には、前記のとおり、実施興の変形として、サムレスト23を従来と同様な方式とし釣糸案内部材18のみを開放回転する方式が示唆されており(13頁1~5行)、この釣糸案内部材18のみを開放回転する方式では、サムレスト23は従来の方式によるとしている。
そして、釣糸案内部材18のみが開放回転することは、サムレストが回転しないことを意味するが、サムレストにおける従来の方式とは、原明細書中で引用しているように、サムレストが糸通しの邪魔になる(3頁15~17行)ものをいうと理解すべきであるから、サムレストは、上記実施例のようなフレーム本体1の前面上部及び前面部を覆う形状をなしているのではなく、回転しなくても糸通しができる、一般の例えばフレーム本体1の(前面)上部のみを覆う形状をなしているものと認めるべきである。
2 次いで、上記原明細書の記載内容に照らして、本件明細書の記載内容を検討する。
(1) 本件発明の明細書には、分割出願時に「尚、上記各実施例では、釣糸案内部材18をサムレスト23と一体に回転可能な構造としたが、図6の破線で示すように釣糸案内部材18を、従来と同様、回転しない構造として、サムレスト23のみが開放回転できるようにしてもよい。」(甲第2号証5欄32~36行)という記載が加入されていることは、甲第2号証と甲第6号証の対比から明らかであるが、この記載にあるように、釣糸案内部材18は回転せずサムレスト23のみが回転する方式のときには、サムレスト23の開放回転によりリール上部が開放され、釣糸案内部材18に形成された釣糸挿通孔21は前後方向を向いたままであるから、リール開放回転状態において原明細書及び図面に記載されたものとは全く異なる形態となることは明らかである。
そして、この異なるリール開放形態に起因して、釣糸挿通作業や糸ほぐし作業、さらに袋ナット19等の組付け分解作業において異なる対処あるいは手順が要求され、大きな作用効果上の相違が生じることも明らかである。
(2) しかるに、甲第6号証によれば、原明細書及び図面には、本件明細書の上記構成の根拠となる記載は見いだされず、また、原明細書では、サムレストが回転することによる特有の作用効果が、釣糸案内部材18と一体に開放回動できることと不可分のものとして説明されており、釣糸案内部材18のみを開放回転する方式でもよい旨の簡単な記述はあるものの、釣糸案内部材18が固定でサムレスト23のみが単独回転する方式やその作用効果についての記載は全くないことが認められる。また、サムレスト23のみが単独回転する上記構成による作用効果が自明の技術的事項にすぎないものと認めるべき証拠もない。
(3) そうすると、本件発明の明細書において、「釣糸案内部材18を、従来と同様、回転しない構造として、サムレスト23のみが開放回転できるようにしてもよい。」(5欄34~36行)として記載が加入された事項は、原明細書及び図面には記載も示唆もされていなかったものというべきである。そして、「サムレストのみが単独で回転する」ような具体例(ⅱ)が、本件発明の「サムレストを釣糸案内部材の釣糸挿通穴より下方位置のフレーム本体に前方へ向けて回転可能に枢支し」という構成に含まれるものであることは被告も認めているところ、本件発明の上記明細書の記載事項は、上記(ⅱ)の具体例にそのまま対応するものであるから、本件発明は、原明細書及び図面に記載のなかった事項を含むものというべきであり、分割出願の要件を充足するものということはできない。
3 被告は、本件発明の発明者及び出願人は、原出願の願書に最初に添付した図面に示される魚釣用リールには、上記(ⅰ)の具体例のもの以外にも、原明細書及び図面の第2図に示されるように、サムレストを、実線のようにフレーム本体の前部上面及び前面部を一体的に覆い、かっ、釣糸案内部材に対向する当該サムレストの前面部に釣糸の繰り出し窓孔を設けた構成とし、これを点線のように、開放時に釣糸案内部材及び案内筒の上部が広く露出するように、フレーム本体より前方の離間した位置に起立可能となるように回転可能に枢支する発明として、(ⅱ)「サムレストのみが単独で回転する」具体例のものを含んでいることに基づき、これらの発明(ⅰ)、(ⅱ)を適切に保護すべく、別途分割出願したのであり、この(ⅱ)のサムレストの具体例のものによれば、レベルワインド装置の保護、及び魚釣用リールの握持・保持性の向上が図れると共に、レベルワインド機構から手の保護が確実に図れ、バックラッシュが生じたときの処理、メンテナンス等が容易に行えるという、作用効果が得られる旨主張する。
しかしながら、原明細書及び図面の第2図(本判決別紙本件発明原図面参照)には、サムレスト23が釣糸案内部材と共に回動動作する方式の実施例が開示されているのみであり、また、被告のいう「レベルワインド装置の保護、及び魚釣用リールの握持・保持性の向上が図れると共に、レベルワインド機構から手の保護が確実に図れ」ることは、サムレストの回動可能とは無関係の固定状態における作用効果であると認められる。
そして、「バックラッシュが生じたときの処理、メンテナンス等が容易に行えるという」作用効果は、前示のように、原明細書ではサムレスト23と釣糸案内部材18とが一体に回動できることを前提に説明されており、釣糸案内部材18が回動するか否かにより、この作用効果の実質的内容が異なる様相を呈することも明らかであるから、同じ作用効果とはいえず、被告の主張は原明細書及び図面に基づかないものというべきである。
4 よって、審決が、原明細書において「当業者はサムレストが釣糸案内部材と共に回転する構成のみならず、サムレストのみが単独で回転する構成も存在することが自明なものとして認識できる」と認定判断したのは誤りであり、原告主張の審決取消事由2は理由がある。
そして、この審決の認定判断の誤りは、審決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるから、取消事由1について判断するまでもなく、審決は取消しを免れない。
第6 結論
よって、主文のとおり判決する。
(平成11年6月1日口頭弁論終結)
(裁判長裁判官 永井紀昭 裁判官 塩月秀平 裁判官 市川正巳)
本件発明図面
<省略>
本件発明原図面
<省略>
<省略>